=第二章=
[Arrested Princess]
第37話・赤の50標

 

  … … …

 暗がりの路地裏、そこに一つの音が響く。
  ビチャビチャと、生臭い音が響き、その音源の…人の足元で鳴り響く。
 そして、ひとしきり、…響いた後、石畳に膝を着いた時の金属音、それから、呼吸荒く、噎び泣くような男の声。

  その人は、…そう、その男とは、アポロだった。

 立ち上る自分の嘔吐した吐物の匂いに、さらに気分を悪くしたらしく、ゲーゲーと、何もなくなって胃液ばかりを上乗せさせ、…それでも、面を上げず、噎び泣く。
 彼は、スティアにお礼を言い終えた後、負傷者の搬送にと向かう彼女を見送った。
 そして、城にと帰路する事を近くの兵士に伝えた後、この路地裏にと歩を進め、…しばらく駆けた後、誰の声も響かぬこの場で、吐いた。
 知られぬよう、知られぬようにと、…だが、狭い路地には彼の大音響にも聞こえる餌付き。
 吐きに吐き、吐いて吐き、そして、胃液さえも振り絞ったノドからは、…ただただ弱弱しい息だけが漏れる。

  そう、これが自分の自由になった最初にした行動だった。
  やっと、意思と体が繋がった事で、…意思を離れ、肉体の限界を超えた行為の末、…全身の苦痛が胃を締め上げていき、ただただ、吐いたのだ。

 一心地後、涙目のまま、…自らの腰に下がる剣を見た。
 もちろん、剣は語らない。語るはずもない。だが、…あの感覚には、正直、アポロは剣をかなぐり捨てたいとさえ、思わせた。

 一時であれ、剣に八つ当たりもしたい。そう、しても構わない。構うはずがない。そうとも思っているのに、いざ、剣を目にした瞬間、手を伸ばそうとした瞬間、体の硬直が生まれる。
 意思がまた、一瞬切り離される…。

 もちろん、剣は語らない。語りだすはずも無いのに、…剣は、やはり、笑っているようだった。


次に進む/読むのを終了する