=第一章・第五部= =黎明の証より来る日= |
| …コポコポコポ… コーヒーメーカーのお湯の沸く音が保険主任室に響く。 「ミルクとお砂糖は?」 南側にある窓から差し込む日を浴びながら、九白先生は中央の机に隣同士に座った二人…隼人とイスカ…に声を掛けた。 「砂糖は二つでおねがいします…」 隼人は辺りを見回しながら、彼女に答えた。 医務室だけあって、こざっぱりとしているが、所々に私物らしいものが紛れ込んでいるようだ。 「あなたは…?」 「………」 九白先生の問いかけにつられ、隼人も視線を隣に座るイスカに向けた。ただ、彼女は始終、無言であった。 「彼と一緒で構わないのね…?」 そんなイスカの態度に九白先生は微笑みながら、質問を変えると、彼女は一つだけうなずいてみせる。 ……コポコポコポコポコポコポ…… コーヒーメーカーの音が鳴り響く。窓は開け放っているが、セミの鳴き声はそうも聞こえてこなかった。 その中、二人の前に腰を下ろした九白先生は微笑みを見せたまま、隼人を見つめていた。しかし、そんな彼女の顔を見ないように彼は視線を室内へと泳がせる。 「………」 ふと、彼の視線があるものに止まった。先ほどもその近辺を見ていたが、…陽の影に隠れていたせいで見逃していたようだ。 「あら、何か面白いものでも見つけたの?」 彼女も話の種を求めていたのだろう。隼人の視線の先に目を向けた。 「………懐かしいわね………」 「…まだ、取ってたんですか…」 二人の視線の先にあったのは、数名の学生が写った写真、それを収めた木製枠の写真立てだった。 「まだあれからほんの少ししか経っていないのにね」 九白先生は立ち上がり、それを手に取ると、再び席に着く。 男子生徒が五名、女子生徒が五名、そして先生ともう一人の女性が写った写真 「ほら、ここにいるわね。あなたも…中等部に入ったばかりだったから、青臭い顔つきね」 「青臭いだなんてひどい言い方ですよ…」 九白先生の言葉に隼人がいちいち反応するのが面白いのだろう…彼女は微笑をやめず、写真に目を落とす。 「彼女がいなくなって…から、娘も…悲しんだなぁ…」 開け放った窓から暖かい風は吹き抜ける。 セミの声もコーヒーメーカーの音もうるさく感じるほど、静寂に包まれていた。 「もう…」不意に隼人は口を開く。 「もうやめましょう、過去をぶり返すのはよくない…から………つらいだけだから」 その言葉に九白先生は一度だけ写真の面を撫でてから、「そうね…やめましょうね」と呟き、再び棚の上に戻す。ただ、隼人のためにその盤面は伏せていた。 「勉強のほうは進んでるの?もし、困ったら、娘を家庭教師に紹介してあげましょうか?」 そして、…気づけば、コーヒーメーカーに満たされているダークブラウンの液体を、九白先生は三個の白磁器のカップを注いでいきながら、隼人に語りかける。 「そこまで困っていませんよ…それに奈々美先輩に頼んだら、いくらお菓子代があったって足りませんから」 「それは残念…私もそれを狙っていたのに」九白先生はクスクス笑いながら、隼人とイスカにカップを進める。 「もっとも、今は真吾君っていう恋人ができたから、あなたに構っている暇なんてないでしょうけどね…」 「大変ですね。まだ大学生になったばっかりなのに…アチッ………まだ二歳ぐらいなんでしょう」 隼人は舌先を火傷したのか、少し顔をしかめるが、話を続ける。 「本当は親御さんがいるのよ…真吾君には…でも、娘が無理を言って…」注いだミルクの渦を眺めながら、九白先生は答える。 「でも、充実はしているようよ…今まで以上に幸せな表情をしているから…親としては嬉しいわ」 そこまで言って「ごめんなさい」と、彼女はイスカを見る。 「内輪話ばかりで、イスカさんを放ってしまって…」 九白先生の言葉に、隼人もつられてイスカの方を見る。 彼女は湯気の上がるカップには見向きもせず、隼人の顔を見つめていた。 二人の視線に対して、彼女は薄色の唇を開き、「かまわない…」とか細い声色で答え、…、言葉を続ける。 「私は彼の言葉を聴いているだけで…」 「………」 思いもしなかった彼女の言葉に隼人は絶句する。そして、九白先生も目を軽く見開いた。 「あらあら、隼人君も隅に置けないわね」 ただ、隼人はいまだ絶句し、イスカの少し高めの声が耳の奥で 「あっ、いや…その…あの…」 ようやく、言葉が出てもその程度…彼は顔を赤くして、彼女の視線から逃れるようにコーヒーをあおる。喉の奥を熱いコーヒーが駆け下り、どうしようもないほど体が火照り、空いている左手で胸元をたたいた。 やっと落ち着くと目の前には、にやついた九白先生の顔があり、左横には彼を見つめるイスカの顔がある。 「あっ、あの僕、」 隼人はどうしようもない恥ずかしさに思わず席を立ちあがり、自習用具を掴もうとした。 「ヒューヒュー」と、九白先生のはやしたてる声が彼の耳に響く。伸ばした腕に…イスカの右手がかかっていた。 「もう一杯おごってあげるわ。座んなさい」 空になった隼人のカップにコポコポ注ぎ込まれるコーヒー。 隼人はその光景と…腕にかかるイスカの手に魅入るように固まり、注ぎ終える頃、ゆっくりと腰を下ろした。 「はい、お砂糖…」 ポチャッポチャッと二つの角砂糖がコーヒーに入れられる様を呆然と見つめていると、いつの間にかイスカの手が視界から消えていた。 隼人はゆっくりとサジでコーヒーをかき回し、口に含む。先ほどよりも冷めていたが、火傷気味の喉には少々つらく、その上、渋みが襲ってきた。 彼は一息つき…耳を澄ます。 外ではセミの大合唱が始まりだし、暑い日差しが吹き込む風を暖めていく。 隼人は残ったコーヒーを見つめ、それを喉に流し込んだ。カップを置くと、軽い磁器のぶつかる音が妙に耳の奥に響く。 次いで、再び、注ぎ込まれるコーヒーの音。風でめくれあがる真白い国語のノートの音。軽く高鳴る胸の音を聞きながら、… 隼人は…軽い嘆息を漏らしていた。 キンコーン…キンコーン |