=第二章・第五部= =朝露が消える頃より来る日= |
| 隼人の耳に聞きなれない鳴き声が聞こえてきた。新しく買った目覚まし時計には録音機能があって、面白半分で犬の鳴き声を入れていた…が、その鳴き声とも違うようだ。 「そういえば、僕は…」 隼人は自分が旅行中で…鶫の運転する車に乗っていることを頭の片隅から取り出した。 そう、彼の手元に目覚まし時計なんてあるはずがなかった…。 隼人はそんなことを思いながら、ゆっくり…目覚めようと…少し重たい 「は〜ちゃん、起きたんか?」 隼人が目覚めた事を鶫は感じたのだろうか。運転視点のままで隼人に声をかけてくる。 「………」 呆けたままの隼人は、しばらく頭を整理するように空を見上げた。 綿雲の存在は薄れ、太陽がサンサンと輝いていた。そして、まだうたた寝をしているような頭を目覚めさせようと、彼はゆっくり深呼吸をおこなった。…すると、今まで嗅いだ事のない独特な匂いの風が彼の鼻腔をくすぐる。 とりあえず、隼人は状況の確認も兼ねて、いまだに眠るイスカのほうを見ようと顔を傾ける。 イスカの向こうには…青色が広がっていた。空と地面の境がない、眼下にも広がる青… 「………これ…」 「なんや、はーちゃん」戸惑う隼人をバックミラーごしに見て、鶫はケラケラと笑い、問いかけてきた。 「海見た事、ないんかいな?」 「海…」隼人は彼女の言葉を反芻し、…覚醒し始めた頭を掻いてみせる。 「そうですね…実際には見た事はないですね…」 海と言われて、隼人は…初めて空との境目となる水平線が分かった。 重たかった 隼人が完全に目を覚ますと、先程の深呼吸で胸奥に大量に吸い込んだ海の匂い…潮風によって、少しだけムセる感覚に襲われる。そして、目覚ましのように感じていたモノ、耳に鳴り響いていたのは、水面や海上を舞う白い鳥、…図鑑やテレビでしか見た事がなかった…カモメが十数羽、時には並列になりながら、すれ違い、飛び交っていた。そんな光景を見ながら、隼人は考えた…。 「僕は今までどう生きてきたんだろう…」 「父さんも母さんも物心ついた時から、もう研究に没頭していた」 「僕をかまってくれた記憶はほとんどない…」 「懇意を持って、自分を育ててくれた叔父、叔母も店を営んでいた」 「写真部の撮影旅行も、夏場は生活費の金銭面で出費が思わしくなかったので、いつも辞退していた」 彼は、あの町をこの歳になるまで一歩として出ていない事に気づき…自分の無知さ加減に情けなくなってきた。 「感想は?どやねん?」 「感想…」 鶫の言葉にふと我に返った隼人は…その言葉を軽く反芻する。 その目には…陰りなく輝く海が広がっている。 潮風にも少し慣れたのか…その香りを鼻奥に満たす心地よさを感じていた。 「分かりません…」 「なんやと?」 隼人の返答は、期待裏切られたように感じたのだろう。鶫は少しだけ上ずった言葉を返してくる。 「あっ、!いえ…そういう事ではなくて…」慌てて、隼人は手を前にかざし、言い直す。 「どう、表現したらいいか…分からないんですよ…それに」 隼人は言葉を一度切り。大きく息を吸い、軽く吐いて…ミラーごしに見える…鶫の顔を少し見た。 「旅行なんて…初めてですから」 「なんや…そうなんけ」彼の答えに、鶫は満足したようだ。 「したら、わしが最高の旅行にしちゃるわ、楽しみにしちょ〜てな〜〜〜」 「お手柔らかに…頼みますね」 そんな鶫の嬉しそうな言葉に…隼人は小さく苦笑をしてみせたのだった。 それから鶫の運転する車は、海沿いの蛇行する道を抜け、ある町に入っていった。 その町は原線路界町に似た雰囲気を感じる…少し寂れた感のある町だった。 道並には、古びた街灯と木造の建物が立ち並び、車二台通るのが難しいような細い道で、その舗装もアスファルトとコンクリートが入り混じっていた。その中を彼女の車は、軽く跳ねあがりつつ、かけ抜けていく。 走る車によって後へと流れていく、この 「鶫さん」隼人は鶫に話しかけた。 「いつ、つくんです?」 「ちゃちゃ、あせんなさんなってな。」 鶫はけらけら笑いながら、 先程までは風を切るように走っていた車が、しだいにゆったりとしたものに変わる。 隼人に風景を楽しませる為に緩めたのか、はたまた、その狭い道路のわき道からの飛び出しを警戒したためか、…それは定かではないが、隼人は町の営みを探るように周囲を見まわした。 「ほんま、楽しみやなぁ…」 鶫の感慨深く、溜め息に近い言葉が彼の耳に届く。 「久しぶりなんですか?」 「そやなあ、 「みんな、どないしとるかな…」 そんな呟きに隼人は答える事ができず、ただ流れていく風景を見送り、軽く目を閉じた。 「…これからどんな事が始まるんだろう」 彼は呟きにも似た言葉を頭の中で反芻する。 そして、閉じた目を開けて、隣りに座り、未だ眠るイスカの顔を見た。 「…これから何が始まるんだろう」 彼はそう思い、口元に そして、彼は、自分の人生で今までに体験したことのない事が待っているのではないか、という期待に胸膨らませながら、大きく息を吐いた。 「はーちゃん」鶫が隼人を呼ぶ。 「ほれ、見えてきた」 彼女が軽く右上に 流れる町並みは途切れ、田んぼ畑が広がる中、うっそうと茂る小高い丘があり、その頂きに少し古ぼけた木造の家が見えた。 「あれが、わしん 「あれが…そうなんですか」 隼人の言葉に少し鶫の眉が歪み、「なんや、悪いんか?」と、口を尖らせる。 「いえ、そんな…」 隼人はただ軽く苦笑を漏らしながら、再び、鶫の後姿を見つめ、そしてイスカを見て、空を仰ぎ見た。 空は、澄み切った青色をしており、薄く延びた白い雲がその空に溶け込んでいる。 そんな空を見ながら、これから、始まるだろう事に、隼人はさらに胸膨らました。 彼が体験した今までの夏休みは、ただ時間が流れていくだけのみだった。 そして、隼人は言葉に出さないように…心の中で呟いた。 「…たぶん、これが本当の意味での…始めての夏休みだと思うから…」 |