=第三章・第一部=

昼の白い雲より来る日

 

 小高い丘の頂きにある民宿を目指し、木漏れ日の差し込む中、少し傾斜のきつい坂を鶫の車がひた走る。
 ただ、あまり人通りはないのだろうか、ぼこぼことした土でタイヤが少し跳ねまわり、乗り心地は最悪だった。
 それに坂の傾斜的に、空にでも舞うんじゃないだろうか…と、隼人はそんな不安も感じ始めていた…そんな時、無事、丘の上らしき所に停車した事で、安堵の息を吐いた。
「さあ、ついたで〜」
 エンジンの切れる音と鶫の言葉に隼人は上体を正し、右手に見える民宿の方に視線を向ける。
 犬神荘…長年の雨風でかすれた文字と軽くかしいだ看板のせいで、もう使われていないのでは…というのが、彼の第一印象であった。
 辺りを見まわす隼人を尻目に、鶫は車を降りて、玄関のガラス戸の前に立つと「とと〜、かか〜、今、帰ったで〜」と叫びながら、軽く戸を叩いてみせる。

  …ガッシャーーーン

 ガラスの割れるけたたましい音が鳴り響く。軽く叩いたはずなのに、ガラス戸は難なく外れ、音と共にガラスの破片が玄関に広がった。
「…ちゃちゃ〜〜〜〜」呆然と鶫を見つめる二人に、彼女はぎこちなく振りかえり、ぎこちない笑みを見せる。
「立てつけ悪いの、すっか〜忘れちょったわ」
 その表情に隼人は軽く苦笑が漏れた。どうも、彼女は両親には弱いのかもしれない。いつもの彼女ならば、周りの迷惑など考えず、豪快に笑い飛ばして、先に進もうとする所だ。
「なんじゃ、なんじゃ!暴動か!殴り込みか!」ガラスの粉砕からしばらくして、玄関奥の階段から、ドタドタドタッと荒々しく駆け下りる音が響く。
「わしにケンカ売る奴はどこのどいつじゃーーーー!」
 ランニングシャツに腹巻、青と白の縦縞猿股を履き、白髪混じりの小麦色に焼けた筋肉質の中年男性が、三人の顔を見るや、猛獣のように吠えた。
「ちゃちゃ」その顔を見て、鶫は軽く頭を掻き、ばつ悪そうに苦笑いを洩らす。
「たてつけ悪いの、忘れちょったわ、とと、許しぃな…」

  しばらくの静寂…

「鶫…鶫か?」
ととも元気そうやな」
 憤怒の表情の男性だったが、鶫の顔を見ると、魚のように目見開き、パクパクと口を動かしていた。が、…その口からやっと出てきた言葉に、いつものニンマリした笑顔で彼女が答える。
「おとうさ、 おかあさ、お前!鶫じゃ!鶫が帰ってきたでぇ!」
 そして、先程よりも大きく響き、家が傾ぐかと思えるほどの声が三人の耳をつんざいた。
 元気な人だな…、それが隼人の素直な感想だった。中年男性、もとい鶫の父親が、嬉々として「帰ったで、鶫が帰ってきたでぇ」と連呼しながら、階段を駆け上がっていく様にただただ、感心してしまった。
「ちゃちゃ、ガラスの始末も客も放っとくんは良くないと思うがな」
 鶫も少々苦笑いしながら、隼人の方に振り返り、「何しとん?」と、呟いてみせる。
「早よ荷物降ろしぃな」
「………」鶫の言葉に隼人は、自分を指差しながら、ゆっくりとした口調で彼女に聞きなおす。
「僕一人で…?」
「何言うてんねぇ、男やないか」
 ただ、鶫はそう答え、大きくうなずいてみせる。
 そして、隼人の隣でたち尽くしているイスカの手を取って、「さあ、わしらは登録しに行こうやな」と、玄関へと入っていく。その光景を呆然と見ている隼人に、彼女はふと足を止めて、彼の方に向き直った。その彼女の表情で次の言葉に予想がついた隼人は、苦虫を潰した顔で彼女の言葉を待つ。
「ついでだから、車にシートかけといてな」
 そう言い残して、不満な顔の隼人を置き去りに、イスカ共々、民宿の中に姿を消していった。
 残された隼人は炎天の太陽に向かって溜め息を洩らすと、…体を重そうに彼女の車へと歩を進めたのだった。

 


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