=第三章・第七部=

昼の白い雲より来る日

 

「お父〜、お母〜、今、帰ったで〜」鶫の声が玄関先に響き渡る。
 来た時に壊れた戸はまだ新しくきていないようで、玄関に散らかっていたガラスの破片は綺麗に片付いてはいるものの、戸の残骸は玄関脇に立てかけられたままだった。
「おかぁ〜なぁ」鶫の声に玄関口左奥の部屋から鶫の母親の声が聞こえてきた。
「あがっときぃな〜」
 そんな母親の返事に、「ちゃちゃ」と、鶫は苦笑いをし、隼人の方に顔を向ける。
「とりあえず、風呂いきようで。海水で少しかゆかろう?」
 彼女が、ちょっと何かありそうな…にたにたした表情で話しかけてくるのに対して、隼人は軽く視線を逸らす。
「いえ、一応、シャワーは借りたから」
 最近、こういう表情の彼女に警戒心を感じ始めている隼人は渋る仕草をみせたものの、「いいやんか、今の時間に入るのがまた格別なんやて」と、ドンッと突き押される。
「お母、風呂いくで〜、ええやろ〜」
「おお、はいっときぃな〜。飯までもう少しかかるけなぁ〜」
 鶫の言葉に母親の言葉が返ってきた。…ものの、その母親の返事を待たずに、鶫は隼人をどんどんと押しやっていく。
「つ、鶫さん、そ、そんなに急がないとダメなんですか?」
 強引に押されて、足元おぼつかない隼人の言葉に「いいけ、いいけ」と言って、鶫はかまう様子もない。
 少々置いてけぼり状態のイスカはそんな二人の行動を見つめていたが、少ししてから、彼らの後をついて歩き出していた。
 着いた先に、少し古ぼけた木の戸があり、軽く傾いた掛札には[お風呂]と書かれている。
 鶫はニタニタしながら、戸を開けて、構わず隼人を押し込んだ。
「まま、は〜ちゃんが先やてな。」
「…なんか、わる…」ガチャ「………」
 振り返り、何か言おうとする隼人に目もくれず、鶫はその隙間から手を振りながら、戸を閉めてしまう。その閉じられた戸をしばらく見つめ、一度、大きくため息を吐き、軽く目を閉じる隼人。
「そうだな…」彼はゆっくりと目を開き、呟いた。
「今日も一日、鶫さんに振り回されたし、ゆっくりさせてもらうか…」

「………」タオル一枚姿の隼人は浴場に出て、驚きの表情が漏れる。
 夕日の外海を望める丘の上に湯銭が広がっていた。
 あまりの光景に立ち尽くす隼人は軽く視線を巡らせ、「露天風呂…?」と、自然に呟いてしまっていた。
 雨よけの屋根が張ってあり、数名同時に入れるようにと、露天風呂の横には蛇口も数個、添えつけられている。
「民宿だって言ってたけど…」
 少々、呆気にとられながら、蛇口から湯を出し、木製の桶へ流し込んでいく。
 透明な湯が桶に埋まっていき、蛇口を閉めると、波立った湯面が次第に収まり、彼の顔を映し出した。
「なんか、驚いてばかりだな…」
 湯面に映っていた顔は、なんともおかしく呆けた面を見せている。
 その表情に、彼は愚痴っぽい笑顔をしてしまう。すると、湯面の顔もつられて、彼に笑いかけてきた。

  バッシャ〜

 桶の湯で体を軽く清めて、湯船に浸かり、木張りの屋根を見上げた。
 その湯船は、何人が入れるのだろう?と、訊いてみたくなるほど広大で、彼がいっぱいに手足を伸ばしてみても、なんの問題も感じるはずがなく、それは、マンション暮らしでユニットバスしかなかった彼にとって、あまりにも想像のできないスケールの風呂場でもあった。
 その感触に、そして温泉の独特な匂いに、彼は酔ってしまったような感覚に包まれてしまう。
 少し空ろになりながらも、隼人は「いろいろとあったな〜…」と、小さく呟き、今日の事を思い返してみる。

 イスカと一緒に待ち合わせたこと、鶫の車、イスカの服を買ってあげたこと、海辺での少女とのこと…

 それから、…
 こんな風にイスカと鶫と付き合うことになった切っ掛けは何だったんだろう…とも考えてみた。

 鶫のプールでの誘い、保健室での話、そして、…
「あの時、イスカさんの…」
 イスカが階段で何かの用紙を床に広げてしまったために、それを手伝ったこと…
「あれが切っ掛けなのかな?」
 彼は目線を屋根から夕日に向けてみる。帰宅した時に比べて、確実に水平線へと沈んでいた。
「…こんな風にいろいろと声を出すのも、なんだか久しぶりだな…」
 隼人は、そう呟き、…それよりも昔の事を思い出す。
 鶫やイスカに…そして、中学の時から付き合いが始まった、燕よりも前に…いた…

 あの人の事を…

 


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