=第三章・第九部= =昼の白い雲より来る日= |
ガララララッ… ガラス戸の開く音で、考え事に耽っていた隼人は、不意に現実へと戻される。 湯煙の向こうで見えないものの、誰かが、お風呂場に入ってきたようだ。 「…」軽く息を吐く隼人。ふっと、彼の脳裏にニヤケタ鶫の顔が浮かんだ。 「そうもいかないかな…鶫さんのことだし…」 隼人はそう呟き、半ば、何が来てもいいように、ある程度の心構えはしているつもりだった。 「は〜ちゃん!」不意に上空の方、…二階の窓から乗り出すように彼を呼ぶ鶫の姿が見えた。 「イスカ、しらへん?探しとんだけど!」 「えっ?」 今にも落ちそうな体勢の彼女の言葉に隼人は強張り、見上げる形で固まった。 しばらく、鶫はそんな状態の隼人を見つめていたが、「………よう考えたら知るわけないわな。ちゃちゃ、邪魔して悪かったの〜」と、独り言でもするように喋り、ひょいっと顔を戻して、どこかへと消えていった。 「…え、え…えっ?」 鶫が消えて、しばらくしてから、彼女の言葉を心の中で反芻する隼人。そうするうちに、出来上がっていたはずの心構えが崩れていき、二階の窓を見上げていたはずの視線は自分の下半身を見つめている様に落ち、軽く波立つ パシャ…ッン とりあえずは、ガラス戸の方を見ないように努力する隼人の耳に湯船のざわめく音が響いた。 視線を落とし続ける彼の横に人影が寄る。 うつろう視線に…ふと、横切った白い影 そして、波紋が消え、澄みきった水面に映る…赤い瞳… 「…」 湯煙が立ち、夕焼け色が広がる温泉の水面に、イスカの姿が、はっきりと映っていた。 「………」 その姿に…凍りつく隼人。 「独りは…」 不意に、彼女が口を開き、その口元から言葉が洩れる。 「…え?」 ただ、彼女から話しかけてくること自体、彼にとって初めての経験だったため、驚き、視線を彼女へと向けてしまった。 …彼の視界に、隼人の方を見つめる一糸まとわぬイスカの姿が飛びこんでくる。 「独りは嫌」 隼人の少し戸惑った表情を見ながら、彼女はか細く繊細な声色で言葉を紡ぎだし、その紅い瞳で彼を見つめ続けていた。 それに対して、隼人は、温泉の湯にでもあたったかのようにボォ〜ッとする感覚に襲われしまい、彼女の顔を見つめ返すだけが精一杯だった。 しばらくの静寂の後、イスカが再び、口を開いた。 「私の事、嫌い…?」 一瞬、息を止める隼人。…彼女の真っ直ぐな視線に戸惑いの色を浮かべる。 それでも、彼女は顔色を変えずに、ジッと彼を見つめ続けていた。 「あ…う…」隼人は、少しだけあえぐように息をしていたが…胸元を押さえながら、視線を逸らす。 「そんな事ないよ。…」 息を吐き、ゆっくりと口を開いた隼人。ただ、今はそれが精一杯の答えのようだった。 しばらく、水面を見続けていた隼人だったが、視線を海へ向け、景色を眺める。 隼人の視界に…強烈な赤を放つ夕日が入ってきた。 それは、…今日一日の終わりを教えてくれるような光だった。 |