=第五章・第十部=

=夕日に赤く染まる時より来る日=

 

 ワサビ(?)モナカを食べさせられた鶫の状態はあまり思わしくないらしく、隼人は彼女を抱きかかえ、両親の寝室にと連れていった。ただ、あれから、しばらく経つものの、ベッドで横になる鶫の眉間には未だ縦縞が浮かび、水を飲ましてはみたものの、口の中がヒリつくのか、半開きとなっていた。
 隼人は、そんな彼女の様子に憂いを覚え、少しでも彼女の気分が軽くなるようにと、旅行のお土産として買った風鈴を吊るしてみた。
  リリーン
 窓から吹き込む風に風鈴が鳴り始める。その音に、隼人はあの時に聞いた潮騒の音を思い出しもしながら…ベッドで横になる鶫のそばに腰を落とし、その顔を覗き込む。
「…」
 もちろん、その表情から声をかけられる感じではなかったが、少し汗が浮いていたので、隼人は彼女の額を濡れタオルで拭いてあげた。
「むん…」ただ、それが少し気に障ったようで、鶫が小さな声を洩らし、嫌がるように首を横に振った。
「は………ちゃん」
 タオルを引くと、彼女は薄く目を開き、隼人を見つけ、小さく口を開く。
「…」その訴えかけるような瞳に対して、隼人は小さくうなずいてみせた。
「まだ、大丈夫です。僕の親はまだ帰ってきていませんよ」
 彼女の心配している事。それを考えて、隼人はまず、そう言ってみせる。
「両親が帰ったら、起こしてあげますよ。今は無理をせずに、横になっててください」
「…ん」隼人の言葉に…鶫が微笑んだ。
「ごめん…なぁ…、は…ちゃん」
「いいですよ。鶫さんが、イスカさんを気にしてる事は…なんとなく分かってはいました」
 隼人は再度、小さくまとめたタオルで彼女の額に浮いている汗を拭きながら、言葉を続ける。
「でも、まあ、…もう少しだけ…人をからかうような事、やめた方が良いですよ…」
「…」その隼人の言葉に少しだけ苦笑をしてみせる鶫。
「そう…やわな…」
 その意外なまでに素直な返事の鶫に隼人は苦笑にも似た微笑みほほえみを返し、それから手元を引いて、「そうですよ」と、念を押して言ってみせる。
「ちゃちゃ、じゃけど…は〜ちゃん」口の中がまだ思わしくなくたどたどしい鶫は、それでも笑顔を見せようとしながら、…言葉を続けてみせた。
「わし、おまんに…会えて、ほんまに良かったと、思うんじゃ…」
 そこで言葉を切り、天井を見つめる鶫。隼人もせかすことなく、その言葉を待った。
「迷惑じゃってのは…分かっちょる…分かっちょるけどな…それでも、は〜ちゃんに…」
「イスカさんを…ですか…」
 言いにくそうに語る鶫へ、隼人は言葉を割って入れる。…そして、穏やかな口調で…彼女へ言葉を紡いでみせた。
「鶫さんとは、燕さんの紹介からでしたよね…知り合いになったの…だから、そんなに長くないですよね…」
 その隼人の言葉を…彼女は口をつぐんで聞き、それから、ゆっくりと顔を隼人の方へ向けた。…そんな彼女の顔を見つめ、彼はゆっくりと話しを続けてみせる。
「そんな僕に、鶫さんは何かを求めるように、…イスカさんを守ってほしいと…今日の事で、そんな事を感じました」
「…は〜ちゃん…」
「鶫さんの父親が、旅行の終わりに、二人の事を頼みます、と言っていました」
 隼人の言葉に、一瞬だけ否定をするような表情を見せた鶫だったが、次に続いたその言葉に目を剥いてみせる。
「それは、鶫さんとイスカさんの事でしょう?違いますか?」
「知…知ら…へん…」
「………」
 頭を振り、目を背ける鶫に、隼人は言葉を止める。そして、彼は一つだけ深呼吸をした。
「この事は鶫さんが言いたくない事、知られたくない事だと、なんとなく分かってはいます。そして、その事を、他人である僕には、無理に聞き出す権利もありません」
 隼人の言葉。それに、鶫は跳ね起き、悲しそうな表情を見せた。
「…はーちゃん」瞳を潤ませ、少し震える声で鶫は、小さく口を開く。
「違う…、ちゃうよ…そんな…こたぁ、なか…」
 彼女は腕をのばし、…隼人の袖を掴んだ。言葉の端々をくぐもらしながら…
「鶫さん、僕は待っています。あなたから言ってくれる日が来る事を…それが僕にできる、鶫さんへの優しさだと、思います」彼女の手を取り、諭すように優しく話しかける隼人。最後に、もう一言だけ…隼人は言葉を紡いでみせた。
「僕が…変われる切っ掛けを作ってくれたあなたに、今できる、優しさだと、思いますから…そう、思いますから」
 不安そうに見つめる鶫に、優しい光をたたえてうなずいてみせる隼人。
 その見つめてくる瞳に耐えられなくなったのだろう。彼女は手を振りほどいて、隼人に背を向けるように体を丸めた。
「きっと…」彼女の背中を見つめる隼人に…震える声でもって、…言葉を紡ぐ。
「きっと…な、言うから…な…、ごめん…な」
「…」
 
  チリリ〜ン

 風を受けた風鈴の音が鳴り響く中、隼人は、そんな鶫を、無言で見つめ続けていた。

次に進む/読むのを終了する