=第五章・第十二部=

=夕日に赤く染まる時より来る日=

 

「イスカさん」寝室にと入ってきた隼人は、イスカがベッド脇で座りこむ光景に目を丸くする。
「お、起きても大丈夫?」
 慌てたように扉を閉め、急ぎ足に彼女の元へ歩み寄る隼人。
 そして、彼女の目元に溜まる涙に、困惑の表情を見せながら、彼女の膝元で腰を落とした。
「やっぱり、まだ痛むんだね。…少し汚れてるし。新しい包帯を用意してくるよ」
 隼人は彼女の足先を確認してから立ち上がろうとしたが、彼の服の袖口をイスカの指が絡めとる。
「…」その袖口を掴む手を見て、隼人は彼女の顔を見つめた。
「………イスカさん………」
 彼女の表情には涙が浮かんでいるものの、変わらない無表情だった。ただ、その指先から伝わる微弱な震えに、隼人は言葉無く、彼女を見つめ返す。

「大丈夫だよ」しばらく、そんな状態が続いていた二人の関係を、隼人が微笑みを浮かべながら、断ち切った。
「イスカさんが、思う事は僕はしません。イスカさんを投げ出したりしません」
 袖口を掴む指先に引かれるまま、隼人はイスカの隣にと、腰を落とす。
「もしも、僕の両親が反対しても、僕はイスカさんを投げ出したりはしません」
 諭すようにゆっくりとした口調で、イスカの瞳の色を見つめながら、隼人は告げる。
「君という存在を僕は守ってみせます」
 その言葉に、…イスカは、口を小さく開いた。
「…はやと」自分の発した言葉に…彼女は再び、涙が溢れる。
「はやと、はやと、…隼人!」
 彼を求めるように上体を起こそうとしたイスカは、足の痛みにバランスを崩してしまう。そして、隼人の上にのしかかるように…倒れこんだ。
「隼人、隼人、隼人!」
 構わず、彼女は言葉を連呼し、寄りかかっていただけの腕を彼の背に回して、抱きしめる。
「隼人!」
 か細い力で抱きしめるイスカに、…高鳴り覚える胸を必死に撫で下ろそうとする隼人。
「大丈夫、大丈夫だよ…」
 彼自身にも言い聞かせるように…そして、イスカをなだめるように、背中を優しく擦りながら、「大丈夫」と繰り返した。
「はやと…」
 しばらくして、落ちついたのだろう、…彼女の言葉は途切れ、…涙の浮かぶ瞳が、隼人の顔を見つめる。

  「好き…」

 彼女の言葉…に、隼人は目を見開く。あまりにも、思いも寄らない言葉でありすぎた。
 何を答えて言いか分からない隼人の顔に…
 イスカの顔が近づく。
 息することを忘れたように固まった隼人の半開きの唇へイスカの唇が近づく。
 寄り添うように迫る彼女の唇と瞳が…隼人の体を金縛りに追いこみ、そして…

 イスカの薄い色の唇が
 隼人の唇に

 触れ合ったのだった…。



  … … …



   チン…

「…」呼び出し音ばかりで応答の無い受話器を置く雀。息を吐き、しばらく電話機を見つめていた。
「隼人さん…出かけてるのかしら」
 特におもだった理由はなかったものの、何か思う事があって、電話をしてみた彼女だったが、思惑を外すように…電話先の応答は一向に無く、…呼び出し音ばかりだった。
「…まあ、いいか」彼女は心の奥のよどむ感触を振り払うように頭を振り、面を上げる。
「急用で出かけてて、留守電もしてないって事もあるしね」
 そう言い聞かせるように雀は、自分にとその言葉を呟いて、耳奥に反芻させる。
 それでも、不安はよぎり、不可思議な心のシコリで受話器を見つめる雀。
「雀〜、あなた、学校に行くんじゃなかったの?」
 再度、受話器に手をかけようとする雀に奥の居間にいた母親が声をかけてきた。
「…は〜い」母親の声に彼女は生返事を返し、受話器に伸びかけた手を引き戻す。
「そうよね、大丈夫…よ。帰ってから…もう一度、ね…」
 …もう一度だけ、雀は、自分に言い聞かせてから、胸に手を置いて、息を吐く。
「ママ〜、今日は少し遅くなるから、夕方あたりに電話を入れるね」
「そう?分かったわ。いってらっしゃい」
 そんな母親の言葉を背に…未だ電話機を名残惜しそうに見ながら…
 外に出た雀は、家の玄関の扉を…閉めたのだった。 

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