=第六章・第三部=

月食われた闇の時より来る日

 

 青空で始まった今日、天気予報では快晴を表していたのにもかかわらず、それを嘲笑うかのような曇り空が広がる中、そそり立つ中央棟と中等部のある東棟との間の中庭に、鶫とイスカ、…そしてもう一人の女性が立っていた。
「…」
 イスカを抱える鶫がその女性を睨みつける。
「久しぶりね…」
 口を開く女性。その女性に対して、イスカを見せないようにかくまいながら、鶫は返事をただ重く、ひねり出してみせた。
「できるなら、もう会いたくはなかった」
 一瞬、イスカは…その(なま)りのない流暢(りゅうちょう)な鶫の言葉に眼が点となる。
「鶫が抜け出したから、研究がかなり遅れてしまったわ…もっとも、試験体を早々と提示してくれれば、こういう事もなかったんですけどね」
「紫嶋は…試験体じゃない。…」
「ふん、…あんたに触れた時点で起こった症状は、あんた自身が良く知ってる事じゃなかったの?」
 鶫の言葉遣いの急変に戸惑うイスカの前で、二人は淡々とした口調でやりとりをし、最後の女性の言葉に、うつむいてしまう鶫。
「まったく、欠陥品ね…あなたは、私達の実験をことごとく邪魔しようとする。早くに廃棄するべきだった」
「廃棄…」鶫の声が震える。
「廃棄って、何よ…私達は人間よ…私達は、人間、…モノじゃない!!」
 鶫の叫びが中庭に響く。が、女性はそれを「ふっ」と、ただ、鼻先で笑った。
「人間?あなたが?そんな体で???」
 女性の鶫へ吐き捨てる言葉にイスカが震える。
「分かって言ってるのかしら。鶫、…」
 くすんだ空模様…そして、体にしっとりと湿り気を帯びるような小雨が降り出した。
「あなたは、…イスカと同じ検体だって事を」
「!!…」
 女性の言葉に、イスカは震え、…ゆっくりと面を上げ、鶫の顔を見る。
「肌を黒く焼いて、髪を黒くして、目は…黒のカラーコンタクト?まあ、カラーコンタクトは角膜を傷つけやすい安物もあるから気をつけなさいね」
「うるさい…」
「私の…姉さん…?」
 鶫と女性のやりとりにイスカが口を挟む。…それに鶫は口を結び…しばらくしてから、小さくうなずいてみせた。
「私は、…宝家鶫。犬神は遠縁(とおえん)の親戚よ。…」
「まさか、のたれ死んでると思ってたのに、おめおめとまあ、生きていたなんてね。接触試験体は死んだってのにね」
 女性が二人に一歩歩み寄る。
「もっとも、あなたが、あの試験体を連れて雲隠れしなければ、…」
「イスカも同じ目にあわせなかったと…言いたいの?」女性の言葉を遮断するように、鶫が言葉を吐き捨てる。
「嘘を言うな…お前ら二人が…そんな事をする訳がない…紫嶋一人でも足りないに決まってる」
 言葉を切り、鶫は女性を睨み付けた。
「紫嶋を引き取ろうとしたお前らのやり方に、…誰が納得いくものか!!」
「あら、どうして?試験体の病状を私達が一番良く知ってるから、引き受けるって言っただけじゃない」
「…そして、引き渡せば、…どのような症状が内臓に出ているかをお前らは…お前らは」
「だって、アレ、もう手に入れた時、死骸だったじゃない。司法解剖みたいなものよ」
 また一歩、女性は歩み寄る。
「できるなら、今回は生きたまま、手に入れたいわね。…うまい具合に近場で接触してくれたから、ありがたかったわ」
 鶫が震える。そして、イスカを後ろに押しやり、拳を振り上げた。しかし、女性の左手は、その顔面に向かってきた鶫の右手をパンと音をあげて、払いのけてみせる…やいなや、その女性の右手でもって、鶫の顔を張り飛ばしてみせたのだった。
「ふん、自分の両親をお前呼ばわりする上に、殴りかかるなんて、犬神家の教育の低が知れるわね」
 よろめきながらも体勢を立て直し、睨みつける鶫。それに再び、張り手を食らわす女性。
「あなたはもういらないの。分かる?廃棄処分よ?主人に噛み付くモルモットは、廃棄されて当然でしょ」
「…私達は、人間。モルモットじゃない…」
 雨が強く降り始める。二度もぶたれ、倒れる鶫の頬を雨が濡らす。…こみ上げるモノを誤魔化すように…。それをただ、女性は嘲笑ってみせる。
「…粘膜接触や口移しでの唾液摂取で、相手を廃人にしてしまう体液を持ったあなた達が人間?、っていう存在かしらね?」
 鶫の肩を抱き、寄り添うイスカもまた、悲壮な表情で女性を見ていた。
「さあ、イスカ。こっちにいらっしゃい。あなたと触れた試験体と一緒に帰りましょう…夫が今、そちらにいってますからね」
 一歩、また踏み出す女性。それにイスカは固まったように動けなかった。…

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