=第六章・第九部=

月食われた闇の時より来る日

 

 隼人の眠る病室は、保健室よりも広く、彼の心拍を伝える機械の音だけが小さく響くだけで、静かなものであった。ただ、外が望める窓にはカーテンがひかれ、照明も少し落とされており、暗く…涼やかなものであり、その沈んだような空気に包まれる部屋の内装は、中央よりも窓際に近い位置に、雀とその向かいに両親が座り囲んでいる彼のベッドと集中治療に要する機材だけが置かれ、こざっぱりとしたものであった。
「鶫さん、どうされたのです?外が騒がしかったようですが」
 病室の扉の開く音が聞こえると、ベッドの傍らに座っていた雀が腰を上げ、そこから現れた鶫とイスカの姿を目で追い、心配そうに声をかけてくれる。
「私と…燕の問題。そういう事です。あなたは、心配なさらなくても大丈夫です」
「隼人…」
 雀の言葉に鶫は首を横に小さく振って説明している中、イスカの声が病室に響き、…その語韻が無くなる頃、再び、部屋の中に心拍を示す機械音だけが木霊しはじめた。
「…」
 先程の一言だけで踏みとどまるイスカ。それを、雀と鶫は口をつぐんで、そんな様子の彼女を見つめる。
「イスカさん、どうぞ」
 それからしばらくして、雀はただ優しく微笑み、イスカに声をかけ、鶫はイスカのその手を握ってみせる。
 戸惑いの色の浮かぶ瞳でもってイスカが雀を見ると、彼女は優しく微笑んだまま、顔を縦に振ってみせ、手を握ってくれた鶫を見ると、「いきましょう」と、手を引いてくれた。

 一歩近づくたびに…白いベッドが近くなる。
 一歩近づくたびに…ゆっくりとした心音を示す機械音が強くなる。

「私…」不意に、イスカが足を止め、口を開く。
 手を引く鶫も足を止め、イスカを見た。雀もまた、そんなイスカの行動をベッドの傍で見守っていた。

「…」すっ…と、鶫は息を軽く吸ってみせる。
「何しとんねん、イスカ。は〜ちゃん、待っとるよ」
 そして、訛りを効かした声でもって、鶫がイスカに話しかける。…見せる笑顔もニタニタしたもので、ちょっとだけ品のないものだったが、…。それは、いつもの…いつもの鶫の笑顔だった。
「行こやな、イスカ。ここで帰ったら、…は〜ちゃん、泣いてまうぞ?」
「でも、私は…」
 鶫の誘いにただ、声震わせ、イスカがうつむく。…それに対して、ギュッと手を握ってみせた鶫。
「ちゃちゃ、あんなふうに付き合わせたわしが悪かったんやで…、なんなら、わしん頬、一発殴らへんか?おまんも?」
 その言葉に、イスカが目を剥く。そのあまりの形相に、鶫がプッと吹きだした。
「ちゃちゃ、…わし、うれしかよ。…は〜ちゃんが、いてくれたから、…イスカ、おまんがそうやって、わしの言う言葉にも、反応してくれるようになったんやからね…」
「…私、…私は、」
 それでも、困惑するように呟くイスカの手を引き、ただただ優しく抱きしめる鶫。
「大丈夫や、わしもおる。傍におる。…一緒に謝ろうやな。…そんでな、一緒には〜ちゃん、…見ようや。…おまんに、わしと同じ事、もうさせへんからな…絶対に、絶対にな!はーちゃん、助けようやな!!」

 …「…姉さん…」…

「ちゃちゃ、」その不意なイスカの言葉に、鶫は驚き、目を見開いた。…そして、嬉しそうに細めていくと、涙の粒が、一粒、二粒と、溢れ落ちていった。
ねえかぁ、そう言ってくれるんか…」
 鶫は、抱きしめていたイスカからゆっくりと離れ、頬を伝い落ちた涙の後を手の甲で拭い、イスカに微笑みかける。
「じゃあ、姉と一緒に謝ろうやな。わし、頭こすりつけて、謝るけな…は〜ちゃんがあきれて、目を覚ましてくれるなら、なんぼでもな…」
 そして、再び、イスカの手を取り、強く強く握り、…繋いでみせ、イスカの顔を見つめる鶫。
「…行こうで、イスカ」

 鶫が、その手を引くと、…イスカは、再び、歩みだしてみせたのだった。

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