深緑の森精 |
何かが覆いかぶさる夢であった。それは何度となく切りつけても切れることはなく…彼を苦しめる。 苦しい…胸が詰まらせるような苦しさ…寝苦しさにアドルは目覚めてしまった。 夜明け前なのだろう。天窓に軽い朝日が差し込んでいるかのように白い空を見せている。 アドルは軽く額をぬぐう…じっとりと脂汗にまみれた額だった。 …アドルは夢を思い出そうとし…目を閉じ、息を整えた…。 何も思い浮かばない…ただ、目を閉じた空間の黒さだけが脳裏に焼きついた…。 彼は一度大きく息を吐き、整え、目を開ける…。ベッドに視線を向けると…ファエルの姿があった…。 「………」 アドルは軽く壁に頭を押し付け、立ち上がる。 体をくるめていたマントを羽織り、荷物袋を背負い、剣を腰に携える。 そして、手をノブにかけようとした時… ゾクッ… 寒気にも…体に痺れにも似た警戒音が体に走り、振り返る。 「アドル…」 ファエルがいる。いつの間に起きたのだろう…気配さえ感じなかった。 彼女は腰だけ起こし、面を下げた…前髪の間からかすかに覗く瞳がアドルを見つめている。 悲しく輝き、何か見下したような哀れみを込めた瞳がアドルを射すくめる。 「いっちゃうの…」彼女の髪が揺れる。 「アドルもいっちゃうの…」 揺れている。窓も閉めきり、風もないはずの室内で揺れ動く。 それは次第にザワメキ、まるでメデューサの髪のように蠢き広がり始める。 「!!」 ファエルに気を取られていたアドルは背後の異変に気づき、剣を居合い抜き、軽いステップを見せ、背後を切り上げる。 グガアアアァァァァ!! 二つに分断された扉が悲痛な叫びを上げ、緑色の体液を撒きちらす。 奇妙に節くれた手に変容したノブがアドルのいた場所で痙攣を起こし、覗き窓は異様に血走った目となり、憎しげに彼を見つめ、背後に倒れていく。 アドルは緑色にまみれながら、再度ファエルを一瞥すると、残ったドアを蹴り飛ばし、部屋を飛び出した。 彼女の姿にはほとんど変わりはなかった。 ただ、髪の影で見えなくなったはずなのに翡翠色の瞳が…煌々と輝き、彼を見つめている。 「……!!」 アドルはその状況に少し戸惑いを見せたものの、足元が変動し始めたのに我に返った。 今や、ドアだけではない。家自体が巨大な食肉植物に様変わりを始めたようだった。 「…くっ!!」 今一度、ファエルを見つめ、抜き身の剣を彼女に向けようとした。が、苦渋をかみ締めた顔を向け、階下を目指し、廊下をかけだした。 今や、あの暖かさのあふれた木造の家は蠕動し、まるで奇怪な寄生虫の腹のような風貌に変わっていく。 アドルはそれを踏み抜き、切り払い、転げ出る様に外に飛び出し、その異変に今までの違和感に実感を覚える。 巨大な空洞…そこは何かの植物のウロのような世界だった。 時間の感覚もなく、日が陰る村…それはこの変動する洞窟が正体だったのだ…。 アドルは周囲に眼を走らせる。 あののどかな村は既に消え、異彩な美術に施された残骸が見えるばかり… そして、 「!!」 アドルは剣と背後に背負っていた盾を構える。家の残骸から蠢く影が次々と現われ、彼に直進してくる。 体中に節を携えた木人がゆっくりと歩み寄る。 「逃げないで…」 背後…正確には頭上から声が降り注ぐ。ファエルが屋根に立っていた。 「もっとお話して…」 アドルは、振り向きもせず駆け出す。剣の白銀の尾を閃かせ、木人を葬りながら、この世界を駆け巡る。 その一縷の望みを求め… そんなのないのに… 何かが、微笑むような優しい口調で耳元にささやきかける。 逃げる道なんて無いのに… 駆け巡るアドルの周りに緑色の光が幾重にも浮かび上がる。 だから、お話して… 光は人の形を成していく。 アドル 一つ一つがファエルの形に変わり…アドルを囲うように降り立った。 息も絶えそうなアドルはゆっくりと剣をそのひとつに向ける。 ファエル達はただ歩み寄る…どこか妖艶にも見える笑顔のままで… 剣の先が振るえる。アドルの顔が苦渋をかみ締めるように歪む。体を動かすこともできない。 そして、… アドルの足元がぽっかりと大きな口を開けたかと思うと、その暗闇の中へ…彼を引き込んでいった…。 |